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夏の終わりの未来ロス

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夏の終わりの未来ロス

夏の終わりの未来ロス

2024/08/28

※先に書きますが今回の話、書きたいから書いているだけでケアマネと全然関係ないのです。

格闘技やサッカーに興味ない方は飛ばしてください。個人的な手記みたいなものですので。

 

みなさん、ごきげんよう。

晩夏となり、台風が来ています。

朝夕は少しずつ、涼しくなっているように感じますね。

 

唐突ですが「サッカー史に残る名場面は?」というと何が思い浮かぶでしょうか?

マラドーナの5人抜き、神の手ゴール。

1998年のフランス大会のジダン(としか言いようがなくジダンのジダンによるジダンのためのフランス大会)。

2002年の怪物ロナウドの決勝戦の圧巻の2得点。

2010年のスペイン代表のイニエスタやシャビのパスでのゲーム支配。

日本代表で言うと2018年ロシア大会決勝T1回戦のベルギー戦、2点リードしたところから2失点し、最後の失点「ロストフの14秒」は言葉を失うほど美しいカウンターアタックでした。14秒後に我々日本人に訪れたのは絶望でしたが。

 

名場面はいくらでもあるのですが、どの場面をしても私にとってこれほど美しい場面はないと思えるのがこのロベルト・バッジョ(青いユニフォームの人)の写真です。

写真は1994年、W杯米国大会の決勝戦ブラジルVSイタリアの終了直後のイタリア代表のエース、ロベルト・バッジョの姿です。

 

バッジョは当時27歳、大会に挑むものも、両膝にけがを抱え精彩を欠き、退場者が出た試合に交代させられたり逆境の中にいました。

苦戦の末上がった決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦、開始26分に先制を許し、反撃のために63分に投入されたゾラが76分に退場する大苦戦を救ったのはバッジョの2ゴールでした。

続くスペイン戦でのゴール、ブルガリア戦での2ゴールでイタリア代表を決勝戦へと導き、世界は再びバッジョをイタリアの救世主と称えました。

 

決勝の相手は天才ロマーリオ擁するサッカーの王国ブラジルです。

酷暑の中、五分の試合を繰り広げるなかバッジョは満身創痍でした。

決着はW杯決勝戦史上初のPKとなりました。

ブラジルは3人がPKを決め4人目が外しました。イタリアは2人が外しています。3:1。

バッジョが決め次ブラジルが外しイタリアが決めれば同点でサドンデスとなります。

つまりイタリアはかなり分が悪い状態で、バッジョが決めても次のブラジル人の誰かがPKを決めれば4:2で優勝はブラジルに決まります。

 

バッジョは「思いついたプレーの中で最も難しいものを選択している」と話す驚異的なテクニックを持つ選手です。

PKを外したことなんてほとんどない。

実際98年のフランス大会でもPKを悠々と決めています。

そのバッジョが、PKを3mも上にゴールを外し、その瞬間イタリアは敗退しました。

 

イタリアは長靴型の半島で国土のほとんどを海に囲まれているため、ユニフォームの色は地中海のような青でそこからイタリア代表はAZZURI(青)と呼ばれています。

倒れるわけでもなく腰に手を当てうなだれるバッジョの姿に世界中が息をのみました。

その姿があまりにも美しかった。

ただの一人の人間なのに、あたかも地中海の青さがそのまま形になったような美しい姿に思えました。

米国大会は伝説のPKとともにバッジョの大会として歴史に刻まれています。

後にバッジョはこう語ります。

「PKを外すことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだ」と。

 

米国大会と聞き、優勝したブラジルのことを思い浮かべる人はブラジル人ぐらいかもしれません。

写真のW杯を掲げるドゥンガ主将はJリーグ黎明期にジュビロ磐田でプレーしたり日本と縁がある人物ではありますが...ロマーリオのW杯でもブラジルのW杯でもないんですよね。

やはり米国大会は負けてもPKを外してもバッジョのW杯だと思います。

 

 

昔のサッカーの話はこのくらいで、本題「未来ロス」について話します。

未来=FUTUREを失う大変すぎる話ではありません。

未来は「みくる」と読み、この話は総合格闘家の朝倉未来選手のことです。

なので興味がない方、今回はどうぞ今回は飛ばしてください。

 

朝倉未来選手は、愛知県豊橋で生まれ、後に「路上の伝説」と呼ばれるほど若い頃は喧嘩に明け暮れた末に少年院にも入った人物です。

50人の不良に対しに対し2人で喧嘩をしたことなどから「路上の伝説」の異名はついていて、まるで昭和・平成の不良漫画のような少年時代を送ったそうです。

空手と相撲をバックボーンに、プロレスラーの前田日明が主催する不良の格闘技大会「THE OUTSIDER」に参戦し頭角を現します。

 

2015年に総合格闘技「PRIDE」の後継団体の「RIZIN」が立ち上がりましたが、2000年代の格闘ブーム期に比べると熱気には雲泥の差がありました。

 

先にRIZINで目立ったのは未来の弟の朝倉海選手でさわやかなルックスと打撃主体の激しいファイトは人気を得つつありました。

それでも不良格闘技の「THE OUTSIDER」出身と、実力は大きくは評価はされていませんでした。

 

私が初めて朝倉未来選手を観たのは2018年大晦日の大会です。

その時は弟の海とともに午前の部(前座的な位置づけ?)に出るほど(大晦日の格闘技は夜が中心でその日のメインは神童那須川天心VSフロイド・メイウェザー!!)まだまだ朝倉兄弟の知名度は低いものでした。

その日はリオン武を完封し最後は膝蹴りでKOする見事な勝利でしたが、当たり前とでも言わんばかりに、にこりともせず髪をかき上げトロフィーを受け取る様子に、大器と新たなヒーローの誕生を感じさせられました。

 

そこからはRIZINで破竹の7連勝と戦歴は白星が並び、未来は当時それほど盛り上がっていなかったRIZINフェザー級を牽引する活躍を見せます。

その間に始めたYouTubeチャンネルは、企画に優れていて数100万回再生を連発し、格闘系YouTuberの先駆けとなりました。

伝説の不良だった未来が、不良仲間と作るチャンネルに内容は、男の子や、かつて男の子だった我々にとっては、なんとも眩しいエピソードにあふれていました。

始めは愛知の素朴な不良上がりの青年たちのYouTubeチャンネルだったものは、再生回数が上がるごとに次第に高級車や高級マンションが映る華やかなものになりました。

弟の朝倉海も2019年に「史上最強のmade in Japan」と呼ばれる堀口恭二を倒し、朝倉兄弟はRIZINの看板選手になりました。

初の著書「強者の流儀」もヒットしCDデビューも果たします。

 

2020年に、ついにRIZINフェザー級のチャンピオンベルトが創設され、誰もが朝倉未来こそが初のRIZINフェザー級チャンピオンになるであろうと思っていました。

対するのは「令和の修斗伝承者」斎藤裕という強いけど若干地味な選手でしたが、そこで未来はまさかの敗北を喫しました。

 

急に沸きあがったのは「YouTubeなんてやっているから負ける」という、未来の成功をねたむようなアンチの声でした。

その後「柔術界の鬼人」クレベル・コイケに敗北を喫するものの、前回敗北した斎藤選手へのリベンジを含む三連勝し、2022年「超RIZIN」ではプロ50戦無敗の伝説のボクサー、フロイド・メイウェザーとエキシビジョンマッチを行いました。

YouTube以外でも自身で企画した格闘技大会「BreakingDown」は大人気で、起業家としても大成功を収めます。

 

そして2023年7月「超RIZIN2」で再び朝倉未来に王者戴冠のチャンスが訪れます。

この話は以前にブログでも書きましたが、アゼルバイジャン人のウガール・ケラモフに敗北し再び王者戴冠のチャンスを逃してしまいます。

さらに、11月急遽キックボクシングルールの大会に参戦しYA-MAN選手に記憶を一時失うほどの深刻なKOをされ、この時ついに引退を口にしました。

 

起業家、youtuber、格闘家、様々な立場で奔走しながら30代を迎え、限界が見えてきたように感じられました。

メイウェザー戦、YA-MAN戦で喫したKOのダメージも深刻なようです。

 

話しは少し変わります。

画像の右の選手は平本蓮選手というキックボクシングから総合格闘技に転向した選手です。

若い頃からK-1で頭角を現した打撃が非常に強力な選手です。

平本蓮は朝倉未来が絶頂期の頃から、X(旧Twitter)などで未来をしきりと挑発してきました。

戦績は2連敗から始まる3勝3敗で、未来が勝利した斎藤裕には敗北しています。

未来との間に実力の差があっても、しきりと噛みつき挑発し続ける、全身入れ墨だらけのダークヒーローで「美しきドブネズミ」と呼ばれています。

2023年年末に、未来をKOしたYA-MANに勝利しついに未来との対戦にこぎつけたのは、2024年3月「超RIZIN3」が発表された時のことです。

 

この時点で未来は平本連を「楽な相手」と言っています。

また「平本に負けたら引退する」と話しました。

多くの人たちは、戦歴の差から未来の勝利を予想しました。

本人とて平本蓮に敗北することはよもやないだろう、と思ったのだと思います。

対戦したのは2024年7月28日、さいたまスーパーアリーナが15年ぶりに4万人収容のスタジアムモードで開かれた「超RIZIN3」です。

未来は平本蓮に勝利すれば、再びその強さに賞賛を浴び、さらにその先にはRIZINフェザー級王者鈴木千裕選手との対戦、勝利しての戴冠も見えてきます。

 

結果は...1R138秒で強烈な打撃からのTKOで平本連が勝利し、未来選手は試合後に引退を発表しました。

 

あれから1か月が経とうとしています。

私は、ずっと何かを欠いてしまったような感覚があります。

考えてみると、RIZINに行ったり観たりするのが好きなんだけど、未来がいないRIZIN、朝倉兄弟がいない(弟の海は米国のUFCに挑戦)RIZINが考えられないのです。

もう今までのモチベーションでRIZINが見られないのでは?と不安です。

試合に出ないときでも、観客席の朝倉未来や海を探したことが何度もあります。

死んだり消えたりしてしまったわけではないので、未来選手が朝倉未来になってもYouTubeなどでの露出はあるのです。

でも職業がファイターの朝倉未来が居なくなってしまったことが、私はどうしても腑に落ちない。

引退などありえない、敗北などありえないと思っていたから。

 

試合は結果は残念でしたがすごいものでした。

緊張感があったし、迫力があった。

残酷だけど美しい幕切れでした。

物語の終わりはハッピーエンドだけではないのだとあらためて教えられました。

それはまるで、サッカーの「ロストフの14秒」のように美しい、「埼玉の138秒」と呼びたいほど、記憶に、スポーツ・格闘技の歴史に残るものだと思います。

 

もう一つ。

勝利だけが至上ではないということです。

スポーツにおいてプロフェッショナルなプレイヤーは常に勝利するために戦っていますが、観客は違うと思います。

記憶に残るかどうか。それが至上だと思いました。

1994年のロベルト・バッジョがそうだったように、7月28日「超RIZIN3」は敗北しようが1ラウンドでKOされようが朝倉未来選手の大会だったと思います。

そういえば2年前の「超RIZIN」のフロイド・メイウェザー戦、昨年の「超RIZIN2」のウガール・ケラモフ戦、「超RIZIN3」と超が付く真夏の大会に未来選手はいずれも敗北していますが、どの大会でも朝倉未来選手の姿は強烈に記憶に残っています。

 

朝倉未来という強者で成功者の敗北や挫折

どんな人間にも、どんなことにも敗北や挫折はあると思います(メイウェザー以外?)。

その残酷さを見せつけられた「超RIZIN」は3大会いずれもすごい大会なのですが、来年「超RIZIN4」があったとしたらどういう大会になるのだろう?

3回ともメインカードにいた未来選手はもういないです。

これってフレンチレストランに行ったけど「お店には今日は牛肉がないよ!」みたいな感じではないでしょうか?

バッジョの「PKを外すことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだ」みたいな文脈で言えば「超RIZINのメインカードを務めることができるのは誰かと朝倉未来だけだ」という感じです。

RIZINの未来(=FUTURE)はこの後どうなるのでしょう...?

 

あと一つ。

未来が長子であることです。

私も弟がいる長子で、弟とはこの日は一緒にPPVで観戦していました。

自分で言うのもなんですが私はいい子で、不良の未来とは違います。

でもなんとなく、兄だから感じる生きにくさ、弟との生き方や発想の違いを感じます。

なんか弟がうらやましいような、うらやましくないような、ちょっと表現しにくいのですが。

友達とはしない血縁ゆえの比較というかなんというか...?(まとまってなくてすみません。)

朝倉未来は海のことをどう思っているかわからないのですが、なんとなく長子の特徴を感じて朝倉兄弟、特に兄未来に共感してしていました。

 

最後に一つ思うことは、RIZIN参戦初期の頃未来選手は相手の「癖や弱点を見つけた」という発言をよくしていたように思います。

そういう分析力に優れた頭の良さが未来選手の最大のストロングポイントだったように見えました。

最近は自身のジム「Japan top team」の質の高さなどから練習環境が向上し「過去最高の強さ」など自身の仕上がりの良さについて発言することが多いように思えました。

それは当然なことで、普通の人でも努力をすると自己評価は自然と上がるものです。

 

ただ一般に、自己評価が上がったからと言って、実力が高いとは限らず相対的で客観的な評価こそが本当の実力だと思います。

これは太平洋戦争の時、米軍の日本軍の実力差を、自国の戦力を過大評価したシミュレーションを行った末に敗北したように、自己評価の向上は危険だと言えます。

例えば起業家が「これは売れる!」と思って自身の商品に高い評価をして商売を始めても、客がそれを評価しなければ売れないということです。

会社員なら自分が良い仕事をしていると自負しても、会社が評価していなければ給料は増えないというのも同じです。

しかし、これはあくまで一般論で未来選手に当てはまっていたかはわかりません。

 

この点に関しては、未来選手の過去の発言を追って私がそう感じただけです。

しかしYA-MAN戦は見たことがないほど相手を過小評価してしまったように思えました。

ただルイス・グスタボや矢地祐介と闘った頃(だけでもないですが)の未来選手の格闘IQの高さは他に類を見ないと思え、その引退はひたすら残念です。

 

リオン武をKOしたときのすました振る舞い。

さんざん煽りあった末、当時の日本人エース矢地裕介を倒したときのこと。

米国のBeratorとの対抗戦のRIZIN代表の大将としてジョン・マカパに当たり前のように勝利したこと。

クレベル・コイケに失神させられてしまった姿。

YA-MANに倒されてYouTubeで泣いてしまった挫折。

弟の朝倉海の勝利にリングに駆け上がったときのこと...。

朝倉未来と朝倉兄弟のおかげで、日本の総合格闘技は熱気と熱狂を取り戻したと言っても過言ではないと思います。

色々な未来選手の活躍が脳裏に焼き付いて、今でもふと気が付くとそのことを思い出しています。

何か力を入れたイベントが終わったときやお祭りの後のような「何かが終わってしまった感覚」に私は1か月が経つ今も支配されています。

 

私が大好きだったロベルト・バッジョの引退は2004年で、私はしばらくバッジョロス(そういう言葉は当時なかったけど)が続きました。

今でも一番好きなサッカー選手と考えるとどうしても20年前のロベルト・バッジョまで戻ってしまう。

日本代表の中田英寿選手の2006年のW杯ドイツ大会の敗退後の急な引退は今回と似ています。

しばらく中田選手が居なくなってしまったことが信じられず認識できずにいましたが、あの時はイビチャ・オシム監督が日本代表監督に就任してくれた明るい話題が心を癒してくれました。そういう点で先の希望というのはロスから立ち直るために大切です。

 

超RIZIN3が行われた7月28日から1か月経ちました。

9月もRIZINは再び大会があり面白そうです。

それを先の希望にするしかないのかなと思いながら暮らす、未来ロスのなにか寂しい夏の終わりです。

 

このブログ、数日にわたり書いていました。

そうしているうちに最近、未来チャンネルでボクシングの那須川天心選手と楽し気に対談する映像がアップされていました。

選手としてではなく、プロモーターとしての夢も語ったり将来に向けての希望がある内容でした。

朝倉未來選手、お疲れさまでした。

私たちファンに、希望や夢を与えてくれてありがとうございました。

これからの活躍を期待しずっと朝倉兄弟を応援しております。

 

文:池端祥一郎

 

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