有限会社ホームケア野川

言語化するとつらい

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言語化すると「つらい」

言語化すると「つらい」

2024/09/21

おはようございます!

曇りの土曜の朝です。

まだまだ暑いですが、日没時間は早くなりましたね。

今日は調布の花火大会なのですが18:15分から上がるそうですから、いかに日暮れが早くなったか分かります。

調布の花火は10000発の花火が上がる全国でも有数の花火大会です!

すでに市内の道路のあちこちに通行禁止の札がついているので、無事帰れるかちょっと不安です。

一昨日は中秋の名月でしたが、今日は花火と名月(2日遅れ)の協演は見られるでしょうか?

 

私は今年、年末年始は研修だらけで専門Ⅱの研修、主任ケアマネの研修が両方あります。

 

私は今回で3度目の専門Ⅱ研修(主任ケアマネを失効させたせい)ですが、5年に1回、時代とともに研修もずいぶん変わってきました。

1回目の場所は広尾で通うのが大変だった記憶があります。

でもランチが楽しみで、研修の昼休みは走って駅前でランチをしたり楽しかったです!

2回目は逆に府中だったので近くて楽でした。

同僚が一緒だったのでsizzlerでサラダバーに行ったり、研修はともかく知らない街でランチができる楽しみがあります!

※ランチをしに行っているわけではなく、研修はもちろん勉強になるな、と思っています。

 

今回の専門Ⅱはどこ?と言えばなんと全てオンラインです!

行かなくていいので楽ですが、ランチの楽しみもないし味気ないと言えば味気ないですね。

 

大変だったのは宿題です!

もし次回受けられる方は、資料が届いたら(たしか8月のお盆の前には届いたような...。)即開封、少なくともその週末に早期に宿題に取り掛かるべきです!

オンライン研修が10時間以上あったと思います。

当然ですが、ただ見るだけではなくレポートもあります!

私はAmazonの箱とともに寝かせてあって、レポートの改修が9月13日必着なのに私の着手は9月6日でしたので焦りまくった週末でした。

 

オンライン研修の中ででてきた話で「言語化」する力は大事という話がありました。

言語化とは自分の頭の中にある考えや感情を言葉にして表現することで、直観的なものを説明したり相手に伝達する能力です。

世間一般でも必要とされている能力と認知されていますし、当然ケアマネージャーにとっても必要な能力です。

ケアマネージャーは利用者宅で聞いたり見たりしたことを言語化し文章・資料としてケアプランの根拠にしなければいけません。

「あの利用者はああいう人よねぇ。」みたいな雰囲気での捉え方で終わってしまってはダメで、アセスメントや担当者会議録に言語化し書くことが必要です。

 

さらに少しまとめると言語化にはメリット・デメリットがあります。

●言語化のメリット

・相手にわかりやすく伝えることができる。

振り返りや内省の質が上がる。→感情や考えを整理できます。

※実際この私も、前回のブログで朝倉未来選手の引退のもやもやした気持ちを少し整理できました!

 

●言語化のデメリット

・時間とエネルギーの消費。

誤解や誤った印象を伝えてしまうことのリスク。

感情が表出されてしまう。

※前回の未来選手引退のブログ、書くのに時間がかかりました。

あと、もっと色々思うこともあったのにあの量で固定されてしまうことも言語化のデメリットです。

感情もどうしても出てしまいます。書いているうちにいろいろ考えたり思ったりすると文章にどうしても出ます。

 

メリットもあれば、デメリットもあるということも忘れてはいけないと思います。

 

言語化の必要性を感じたうえで「介護支援専門員の倫理的葛藤を書きなさい。」というような課題がありました。

 

介護支援専門員の倫理的葛藤??

倫理とは人として守る道、普遍的な基準、道理や秩序です。

葛藤とは、悶着、あらそいと辞書にあります。

 

では介護支援専門員の倫理的葛藤とは具体的にはどんなのかと言えば...

 

利用者が苦しそうにしていて、救急搬送が必要とケアマネージャーが判断したとします。

ところが利用者は「救急搬送はしてほしくない。家にいたい。」と言いいます。

介護支援専門員は、利用者の意向で動くものだけど、このままだと利用者に命の危険が及ぶ。

救急搬送する?しない?さあ、どうしよう!という時が倫理的葛藤が起こるときです。

※この場合私がどう対応するかはケースバイケースです。

 

ところがこの葛藤、大なり小なりケアマネージャーは毎日のように抱えるものなのです。

というか、ケアマネージャーでなくたって葛藤って多いですよね。

暑いからアイス食べたい、けど食べると太るよな、というのも葛藤です。

 

課題のために書いたんです、いくつもいくつもケアマネージャーの葛藤を。

6個くらいかな。すらすら言葉が出てきて用紙がすぐいっぱいになりました。

それくらいケアマネージャーの倫理的葛藤は多いです。

 

その結果、思ったことを言語化します!

葛藤を言語化してしまうと...「つらい」

 

メリットである内省は確かにできます。「ああ、あの時のあの感情は葛藤だったな。」と。

でもデメリットである感情の表出が来ます。葛藤で「つらい」「つらかった」「嫌だった」...。

 

そして最後に思いました。

ケアマネが人間じゃなくてAIだったら葛藤なんてしないのに..と。

 

なぜ利用者とはいえ他人のことで葛藤しなければいけないんだろう?

ケアマネがいくら葛藤したって、利用者と方向性が一致しなければ意味はありません。

葛藤したって利用者の病気やケガ、いろいろなものが良くなるわけではないです。

 

だったらAIで「プランAを選択すると60%の可能性で良くなり、Bを選択すると40%、Cを選択すると...。」というようにプランを作るようにして、利用者が選択すれば誰も葛藤しなくて済むのではないか?と思いました。

 

さらに、前に書いた介護支援専門員の倫理的な葛藤で言えば

利用者が苦しそうにしていて、救急搬送が必要AIが判断したとします。

「このまま家にいると死亡する可能性は78%です。重度障害が残る可能性は20%...。」

と言われれば利用者は「救急搬送はしてほしくない。家にいたい。」と言えるでしょうか?

AIなら葛藤もないです。

人間のケアマネよりずっと良いんじゃないか?

 

こういう(ケアマネよりAIがいい)極端な考えになってしまうところが、言語化の怖いところだと思いました。

葛藤だけではなく、負の感情なども言語化してしまった先には「嘘の前向き(例:それでも前向きにやるしかない!)」か「行き詰った負の感情(例:もうこんなことやめちゃおう!)」に陥りそうです。

 

つまり、何でもかんでも言語化するのは危険で、葛藤を言語化すると「つらい」と思いました。

 

それでも私は残念なことに、このブログもそうなのですが「言語化」しないと収まらない人間です。

そのせいで今までエネルギーも使った気がするし、言葉にしたことが良くなかったこともあったと思います。

 

それでも今回、世間一般で必要とされる「言語化」が良いことだけではない、と読んでいただいた方に伝わったとすれば、言語化のメリットである「伝えることができる」というメリットは発揮されたかもしれません。

 

 

写真はTVゲームの「FINAL FANTASY XV」(2016年発売)の場面です。

2019年、仕事をしていて本当に嫌になったことがあり、家に帰るとほとんど口も利かず(家族と不和なわけではなく)ずーっとゲームをしていた時期が1か月ほどありました。

その主人公のノクティス(写真の男性)が言ったこと「やっぱつらいわ(つれぇわ」です。

最後に「あぁ、この人もつらいんだな。」と思いながら1か月後私は立ち直れました。

「つらい」と思うと私がつい思いだしてしまう場面です。

 

焚火の周りで仲間と話をする場面でノクティスが「つらい」と正直に吐露したことを仲間は「ちゃんと言えたじゃないか。」と褒めてくれます。

仲間の温かい言葉、この場面大好きです。

ちなみに私は、ファイナルファンタジーシリーズ、最新作はまだやっていませんがごく初期のものとオンラインを除けばほとんどプレイしています。

その中でも、FF15は仲間と旅をする感じですごく好きでした。

評価はファンの中では微妙だったみたいですが私は一番好きかも、と言語化してしまうとやはり一番好きなのかもしれません。(異論はあると思います。あくまで私は。私のあのシチュエーションでFF15が一番心に沁みました。)

ちなみ私はこの主人公ノクティス王子はそんなに好きではありません。

いい部分もあるんですけどね、とうぜん主人公なので。

でも私がそう言語化すると、ノクティスがイケメンでも、この物語を知らない人には魅力的に伝わらないですよね。

ただ「つらいわ」と言っているネガティブな主人公のような印象になってしまいかねない。

これも言語化の「誤解や誤った印象を伝えてしまうことのリスク」です。

 

何かしらこの話全体の結論のような締めをしたいのですが、言語化するとこの話の結論として固定してしまいそうで怖いので今日は書くのはここまでとします。

 

思い出した!最後に言語化の最大の怖い話をひとつ。

幕末、長州藩士で奇兵隊という軍隊を率いて幕府と戦った高杉晋作(写真・イラストの人)は結核で死ぬ今際の際に辞世で「面白き こともなき世を 面白く...」と言って力尽き、最後に「吉田へ(師の吉田松陰のことか、奇兵隊の陣地のことか不明)....。」と言ったそうです。(諸説あり)

そこに立ち会った尼僧の野村望東尼(もとにと読みます)が「住みなすものは 心なりけり」と下の句を付けました。

 

晋作はきっと、面白くない世の中を面白く変えたい!と言いたかったのではないか?と思います。

だから倒幕という革命運動に奔走してきた。

ところが望東尼は、面白いことがない世の中を面白く生きるのは心次第ですよ、という話にしてしまった。

そんなこと、革命運動する人が言うかな?と思いませんか。

「世の中面白くしてやるぜ!」と激しく思っていたのに「心がけ次第で面白くもなるよ。」というすごく穏やかなものに変えられてしまった。

言語化って怖いです。真逆のイメージになってしまう。

 

でもこれは実は晋作が死ぬ数年前に詠んだ短歌だとも言われます。

晋作「なあ、モトニ。つまらない世の中を生きるのって結局自分の考え方次第だよね。」

望東尼「そうですよ。どう生きるかなんてあなたの心次第よ。」

晋作「一緒に短歌にでも作ってみようか?」

晋作「面白き こともなき世を 面白く」

望東尼「住みなすものは心なりけり」

晋作「面白いなあ。」

と、こんな会話の中から生まれたとすれば、それはそれでよい短歌ですよね。

 

後半の説はマイナーで本当かどうかわかりません。

知らない人は望東尼の蛇足と思っています。

または心がけ次第で面白くできるという話だと思っています。

 

私は下の句は余白でよかったと思います。あえて言語化しなくても。

 

文:池端祥一郎

 

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